番長、番長なんて言葉は今では古いかも知れない。
私が子供の頃は"大将"と呼んだものだ。
部落、この言葉も古いと思う、今は町内だろうが昔は部落と呼び、部落会もあった。
子供の世界も縦社会、同級生と遊ぶこともあったが大抵は上級生、下級生がひとつのグループになり、つるんで遊ぶのが常だった。
一人の子をいじめる事はあまり無かったような気がするが仲間内の喧嘩はしばしば起こった。
そこで登場するのが"大将"である。
大将は上級生だとは限らないが身体が大きく、皆よりも知恵が働き、公平に面倒を見てくれた。
もめ事も大将の一喝でおさまり、その場で仲直りをしていた。
何でも知っていたのも大将だったし、遊びの天才だった。
他部落から遠征してくるグループもいた、「よそ者が来た!」っと知ると山を切り開いた道の高いところに隠れて奇襲攻撃を仕掛けるのだ。
最初に2B弾をお見舞いし、用意した小石を雨あられと降らせる、ここでも、かいくぐってよじ登って来るのは敵の大将だった。
大将どおしの一騎打ちが始まるが、やがて仲良くなり遊びに行くことを約束し別れる。
大将は偉大だった、これは歴代続いたどこの部落でもあった伝統だったようにも思う。
幼稚園から小学校の六年間はこんな調子で大将が卒業すると次ぎの上級生が大将に格上げされていた。
ちなみに私は身長は高いほうだったけど身体が細いし、体力もなく大将には成れなかったし成る気もなかった。
子供の頃の思い出を語ると明日の朝が来ても終わらないのでまたの機会にでも・・・。
「夕やけ番長」・・・原作・梶原一騎 画・庄司としお
昭42年9月号~46年3月号 月刊誌・冒険王連載。
昭44年~45年 少年チャンピオン創刊号に併行連載。

本誌掲載は4ページだが別冊付録は80ページで始まった「夕やけ番長」期待されて始まったかが分かります。
庄司としお氏に直接、依頼されたのではなく、一峰大二氏、貝塚ひろし氏が忙しくて断った為に来た話だったそうです。
庄司としお氏にしても他の連載を持ってたので正直、ありがたくなかったそうです。
「頑張ればなんとかなるかなっと思って引き受けたくらいで・・・」
「今見ると随分描き飛ばしてます、でも、肩に力を入れず楽しんで描いた分、それが良かったかも知れません」
実際、一騎氏からは作品完結後に「きみの絵だったからここまで展開できた」っとお礼を言われたと言います。
~梶原一騎31歳、庄司としお28歳の作品でした~





中学三年の二学期、チンチン電車ハウスに住む忠治と祖父は立ち退きを迫られる。
ふるさとの赤城山に帰るしか手がなかった、、、が、スポーツの名門校から忠治にスカウトがやって来る、特待生として寮に入る事も出来るという。
忠治は高校入学に備え正月返上でトレーニングに励んでいたところへ小瀬がやって来る。
小瀬は悪ふざけのつもりだったが高鉄棒から手を滑らせてしまう。
助けようと小瀬を受け止めるがアキレス腱を切断する。
一瞬にして忠治は高校進学もスポーツへの夢も全てを失ってしまう。
進学は取り消され、寮も出されてしまった忠治。
忠治の未来への夢を奪った責任を感じた小瀬は遺言状を残し消えてしまった。












明朗漫画でありながら、この作品も一騎氏原作定番ともいえる悲劇的な終わり方である。
四十年代に入り、週間漫画誌の伸長に伴い栄華を誇った月刊誌は衰退、「少年」「少年ブック」「ぼくら」っと相次いで休刊する、そんな最中に「冒険王」でヒットした「夕やけ番長」月刊誌最後のヒット作として名を残しました。
ラベル:漫画、コミック