『 まんが浪人 』
月刊少年ジャンプ・・・1974年7月号掲載
横山光輝・・・1934/6/18~2004/4/15
毎月有名作家による"自伝"競作企画の一編です。
現在=1974年当時 👆
~手塚治虫著書・「ぼくはマンガ家」より~
ぼくの単行本を半分出版していた東光堂書店の社長が、スマートな
関西青年を連れて来た。
「うちでデビューさせようと思いますが、どうでっしゃろ?」
と、社長が訊ねる。
『魔剣列剣』という時代もの漫画で品が良い。
「売れるかも知れませんな」と言っていたら、その通りになった。
彼は、しばらくぼくの代作などをしていたが、昭和三十年頃
ついに所を得て、新人物色中の光文社の「少女」に連載ものを
描きだし、またたくまにヒットした。
彼ほど「彗星のように」という形容のあてはまる男はいない。
こうして『鉄人28号』『おてんば天使』『伊賀の影丸』を
生んだ横山光輝氏は、すでに大家である。
彼の作品は、計算の上にサービス精神を横溢させている。
それは、デビューの時から変わらない 。~昭和54年~
~ お・わ・り ~


子供の頃、胸躍らせて漫画を見ていたのが懐かしく思い出されます。
妹の俊子さんによると、晩年は糖尿病を患い、心臓のバイパス手術、その後肺がんの手術、1年に2回の大手術、それでもタバコと酒だけは止めませんでした。
4月15日、映画を観た後ウィスキーと睡眠薬を飲んだのでしょう。
何も予定がないということで2錠飲んだに違いありません。
普段からの寝タバコでぐっすり寝込んだまま、タバコの火を落としたのです。
私が思うに要因は酒とタバコの依存症だったと思います。
周囲の人たちも注意勧告していただろうに。。。。。
まだまだ、創作意欲があったと聞き、残念の極めです。
ひとつ思い出した事があります。
長くなると思われるので、今日(10/9)の記事にて訂正致します。
興味深く読ませていただきました。
一つ気になった点がございますしたので今プロに依頼して調べてもらっています。
競走馬を持ってるくらい競馬が好きで、麻雀はプロ級だったそうです。
先に述べた通り、トキワ荘住民とは接点が見つかりません。
世間話くらいはしたと思うのです。
私が思うに、影響を受けたくなかったのかも。
孤高の人と呼ばれるくらい、雑誌主催のパーティーに参加しても漫画家さんとのツーショット、あるいは対談もありません。
同業者を嫌ったのでしょうか。。。?
かといって、温厚で寛容な性格のようで、何ひとつクレームをつけた事がないそうです。
漫画の鉄人、いやさ私は漫画の哲人と呼んでます。
横山先生は、あまりトキワ荘の先生方とは関わりがなかったようですが、
これも一つの「まんが道」ですよね。
『鋼鉄人間28号』を『鉄人28号』というように、現代用語に修整されてます。
明日はそのジャンプに掲載された『鉄人28号』を投稿しますよ。
ジャンプに載った横山作品は初めて見ます。
初出の1974年なら、三井住友銀行じゃなくて、まだ「太陽神戸銀行」だったはずです。
バブルがはじけた頃「太陽神戸三井住友・・・・」とめちゃくちゃ長い名前になったので覚えています。